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横浜地方裁判所 昭和45年(ワ)1448号 判決

原告(反訴被告)

右代表者

稲葉修

右指定代理人

武田正彦

外五名

被告(反訴原告)

奈良橋重常

右訴訟代理人

大村武雄

外二名

主文

原告の本訴請求を棄却する。

反訴被告は反訴原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和四五年八月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。反訴原告のその余の請求を棄却する。

本訴及び反訴の訴訟費用は原告・反訴被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一、(本訴)

1  請求原因(不当利得返還請求)

(一) 原告国は、郵政省簡易保険局長を所管庁として、被告との間に、簡易生命保険法(昭和二四年五月一六日法律六八号。以下、法と略称する)並びに簡易生命保険契約約款(同年六月一日郵政省告示五号)に基づき、訴外亡東海林由吉を被保険者とし、保険契約者名義を被告又は妻奈良橋アイ子又は義姉の奈良橋ヤスとし、保険金受取人を被告自身又は被告の親族として、別表(一)〈省略〉に記載のとおり、わずか一年余の間に一五口に及ぶ簡易生命保険契約(以下、総括して本件契約という)を締結し、右被保険者(以下、単に由吉という)が昭和四〇年八月一二日高血圧症兼心不全により死亡したことに因り、被告に対し、右契約に基づく保険金等合計金六六二万〇、五二〇円を別表(二)〈省略〉に記載のとおり支払つた。〈以下省略〉

理由

一本訴請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。

二原告国は、本件保険契約の無効の原因として、本件契約については、被告が保険契約申込みに当り、保険外務員らに対し、被保険者東海林由吉の同意がないのにあるように装い、又、同人が高血圧症及び糖尿病であることを知りながら秘匿黙秘して、保険外務員らを錯誤させ契約締結せしめたものとし、保険詐欺の点につき法二六条、承諾なき点につき法八条に違反する、と主張するので、以下に審案する。

1  詐欺(法二六条違反)による無効の契約といえるか。

(一)  (由吉の病状)

(1) 〈証拠〉を総合すれば、由吉は、

(イ) 昭和三四年五月頃から腎臓性高血圧症及び糖尿病に罹り、昭和三六年九月頃脳軟化症の兆候が見え、昭和三七年一月(この月由吉は後述の法事に列席している)から治療を中止していた。

しかし、同年二月頃、被告が日本生命保険相互会社に対し、由吉を被保険者にして生命保険契約を申し込み、診査医野口廉一が由吉に面接して、由吉の告知及び診査の結果は、「由吉が高血圧症状を呈し、脳溢血症状の恢復が未だしい」ものとされ、同年三月二日契約は好しからずとされ、契約不承諾と決つた(右申込みと不承諾の事実に限り当事者間に争いがない)。

(ロ) 昭和三七年五月二一日由吉は痙れん発作が起き、診断の結果、最高血圧二一〇、低一二〇であり、尿中糖(+)血糖二〇〇耗以上、顔貌病的、四肢機能並びに言語に障害が目立ち、薬剤投与による治療を受け、引続き治療を要する状態であつたが、同月一三日治療を中止した。

(ハ) 昭和三八年七月三〇日突然意識もうろうとなつて卒倒し、血圧最高二三〇、低一二〇、尿中糖(+)の診断で、薬剤投与、同月一二日治療を受けることを中止したが、脳軟化症状を呈し、臥床のままであつた。

(ニ) 昭和三九年二月三日、医師の往診を受けた際、血圧は最高一八〇、低八〇であつたが、両下肢麻痺、歩行に堪えず、知能も判断力を欠き、臥床したままで排便排尿とも家人の手を借りていた。

(2) そして、由吉が昭和四〇年八月一二日高血圧症兼心不全により死亡したことは当事者間に争いがない。

本件契約一五口の最初の締結日は、昭和三七年四月二日、最終の締結日は昭和三八年六月四日であることは冒頭一に認定のとおりである(別表(一))。

(二)  (本件契約締結の実相)

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 本件契約はすべて、藤沢郵便局保険課外務員らの被告及び妻アイ子に対する勧誘によつて成立したもので、被告夫婦の方から意図して申し込んだものではない。

(2) 被告及びアイ子は外務員らに対し、由吉を或いは「被告の親」或いは「アイ子の親」といい、「親でもよければ契約してもよい」と申し向けて、勧誘に対して契約締結を応諾し、外務員が由吉を被告方同居として扱わず、訪問面接して観査しようとすると、「一度病気したことはあるが最近は丈夫で、よく遊びに来る。同居の父にしておいてくれればよい。」「面接しても同じことだから、その必要はないだろう。」など申し向けていた。

(3) 約款によると、「申込者は、申込の際、被保険者を郵便局員に面接させねばならない。」とあるにかかわらず、外務員らは、契約締結に急で、右申向けに即応して、いずれも、由吉につき面接観査は省略して保険契約申込書の被保険者氏名欄に由吉の氏名を記名し、由吉の印影の代わりに被告が、時にはアイ子が拇印し、或るときは、被告が自分の預つている由吉の印鑑だと称して「東海林」の印鑑を代捺し、且つ面接観査したごとくに記載して、申込書を作成した。

(4) 〈排斥証拠略〉

(三)  (由吉の病状についての被告の認識)

(一)の(イ)(ロ)に認定した由吉の客観的症状について、被告が本件契約一五口締結当時認識していたことを認めるに足る証拠はない。

(1) 〈証拠〉によれば、由吉の一家と被告夫婦との間には往来があり、昭和三六年一二月被告夫婦の養父弥吉が死亡したあと昭和三七年一月被告宅の法事に由吉も列席したことが認められ、従つて、由吉の健康状態、外貌、動作、言語の状況を知り得べかりしこと明らかであるが、右法事の席上で由吉がどのような健康状態を示していたかにつき十分の認定をすることのできる証拠はない。

(2) もつとも、〈証拠〉によれば、右法事のあと昭和三七年二月一一日頃、被告の日本生命に対する保険契約申入れにつき、被保険者由吉方に診査医と同行した日本生命の外務員山口キヨが、右契約不承諾の旨を被告に知らせたことが認められるのであるが、(右知らせを否定する被告本人の供述部分は措信できない。)、同女が診査の結果内容たる由吉の病状等までもそのままに知らせたことを認めることのできる証拠はない。

(3) 又、診査医の診査を必要とする生命保険会社の保険契約が診査の結果不成立となつたのであるから、その知らせに先立つことわずかに二ケ月位の法事の席で、被告自身が由吉の健康状態につき右診査結果に似た症状に気付いたのではないかと思われ、原告の嫌疑も所以なしとしないが、その場合にも、素人の被告にどれだけの病状認識があつたか、確認できる証拠はない。

(4) 〈証拠略〉に照らして、被告に由吉の病状につき本件契約を不成立ならしめるに足るだけの状態の認識があつたことの証拠となし難い。

(四) 以上の認定によれば、

(1)  被告が本件契約につき被保険者由吉の既往病及び現在症につき症状を現実に前認定(一)の程度に、すなわち保険者に告知すべき重大な事実たるべき程度に、知つていたこと、そのように知つていながら敢えてこれを外務員に告げなかつたことを認めるには、証拠不十分とする他ない。

(2)  又、外務員らが由吉の症状を現実に知らないについては、前に(二)に契約締結の実相として認定のとおり、被告夫婦の言動を軽信して、由吉への面接観査を省略した過失によるものであるが、仮に、右過失の因となつた被告夫婦の言動が、由吉の高血圧症等につき法事の席や平素の出入り接触などで感じたであろう漠然とした不安によつて観査を避けたいという意識による作為的なものであつたとしても、直ちにこの程度の言動をもつて、しかも外務員の過失による不良契約と表裏不可分に密着した制度利用というべき本件の具体的事情においては、告知義務違反の詐欺として法二六条を適用し、契約を無効とすることは相当でない。この解釈は、商法上の生命保険につき、商法六七八条の規定が、保険者に過失あるときは、保険契約者に告知義務違反あるとき雖も、保険者に契約解除権を付与しないで、契約を有効として維持する法意からも、これを導くことができる。

2  被保険者の同意がないことによる無効の契約といえるか。

(一)  同意がなかつたことについては、そのことを理由として本件契約の無効を主張する原告に立証責任があるところ、本件全立証によるも、これを認めるに足る証拠はない。

前認定のように、被告が日本生命に保険契約を申し込み、昭和三七年二月由吉は自宅に診査医の来訪診査を受けて、既往症などを告知しているのであるから、右契約につき被保険者たることを同意していたことを認めるに足る。

(二)  〈証拠〉によれば、右診査に先立つ同年一月中の被告夫婦の養父亡弥吉の法事に由吉が列席したとき、由吉が被告夫婦に対し、夫婦が生命保険に加入するときは、その被保険者となることに同意する旨を述べたことが認められ、この同意が、やがて申し込まれた前記日本生命の生命保険に限定し、「日本生命の不承諾によつて不成立となつたときに、次いで簡易保険契約をすることには同意しない」というような、特段の具体的内容のものであつた事情は認められないので、包括的なものであつたと推認するのが相当である。そして、日本生命への契約申込みに引続いて相次いで締結された本件契約の場合には、由吉の右包括的同意は本件契約のすべてに及ぶと認められる。

日本生命の契約不承諾の知らせを受けた由吉が、右包括的同意を撤回したことを認めることのできる証拠もない。

三以上の審案の結果によれば、本件契約はこれを無効とすべき理由はなく、有効な契約であるから、無効を前提として被告の本件保険金取得をもつて不当利得と主張する原告の本訴請求は、理由ないものとして棄却されるべきである。

又、被告の妻アイ子が被告を代理して、昭和四一年一〇月二五日原告に対し、本件保険金の一部五〇万円を返還したことは、当事者間に争いがないところ、被告の本件保険金取得は有効な保険契約に基づいたものであつて、法律上の原因なくして利得したものではないから、右返還は義務なくしてなされたものというべきである。よつて、以下に、被告から原告に対する右金五〇万円再返還の反訴請求について審案する。

四原告(反訴被告。以下、一貫して原告という)は、被告(反訴原告。以下、一貫して被告という)の原告に対する右金五〇万円の返還は、被告の妻アイ子が被告本人から代理権限を与えられて、これに基づき、本件保険金全体につき被告の原告に対する不当利得返還債務の存在を承認して任意に支払つたものである旨主張するのであるが、被告が妻アイ子に金五〇万円返還の代理権限を与えたこと、右返還が被告本人及び妻アイ子の任意になされたこと、右全額返還債務の承認を意味することについては、いずれもこれを認めることのできる証拠がなく、かえつて、次のような事実が認められるのである。

五 〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1 被告夫婦は、東京郵政監察局横浜支局から本件契約につき保険金詐取等の嫌疑を蒙り、昭和四一年九月二七日以降、支局所属の司法警察員、郵政監察官の取調べを受けたが、取調べは苛酷を極め、アイ子につき「由吉の病気を知つて契約した」旨の供述調書(乙第五三号証六項)が作成され読聞かされたので、アイ子が、「間違いだから訂正してくれるよう」要求したが、そのときは聴き入れられなかつたり、被告に対しては、同月三〇日まで四日間連日午前九時から午後七時頃に至るまで取調べが行われ、被告は高血圧亢進により九月三〇日午後五時卒倒するに至つた。しかも、取調べは、引続いて一〇月に入つてもアイ子に対して続行された。この間、被告夫婦に対し、「罪を認めて保険金を返えさねば、手錠をかけて日本大通を引き廻わされる。」「テレビや新聞にも出る。高校生の子供が二人もいるし、みつともないだろう。」などとおどされ、同月二四日には、被告において、アイ子の眼の前に手錠を出して見せるなどした。

そこで、アイ子は、夫や子らの事を考え、いわれるような事態から免かれたい一心から、心ならずも、一〇月二五日、被告に無断で、藤沢郵便局に金五〇万円を持参し、返還した。

2 すなわち、アイ子のなした金員返還は、無権代理行為であつて、無効である。しかも、前認定のような苛酷な取調べに圧迫されて、心理的強制を蒙つた結果の心の動顛によるものであつて、本件保険金全額返還債務を承認したものではない。(もつとも、返還のときには、債務の存在しないことを知りながら返還したというのでもなく、結果によつては存在することになるかも知れないと、錯誤しながらであつたものと推認される。)

3  〈排斥証拠略〉。

六そうであつてみれば、原告国は、法律上の原因なくして被告の損失により金五〇万円を取得したものというべきであるから、不当利得の現存利益として被告にこれを返還すべきである。

七被告は、原告国が金五〇万円の返還を受けたときから不当利得につき悪意であると主張するので、以下に判断する。

本訴請求についての前判示の結論(原告敗訴)は、いわば証拠不十分によるものであつて、被告夫婦としても、本件契約締結の実相に鑑みるときは、秘匿につき前述の嫌疑を受けても、ある程度止むを得なかつたものとして、反省すべきものがあろう。弁論の全趣旨によれば、郵政監察当局者は、右嫌疑により、職務遂行の良心に立脚して監査取調べを集中的に行い、その立証に努めたものであるが、有力な間接事実や証拠と考えたものによる予断もあつて、苛酷に被告夫婦の自白を求めるの行き過ぎに陥つたものと認められる。

されば、反訴提起に至るまでは、金五〇万円の返還を受けたことにつき悪意の不当利得者ということはできず、ただ、反訴の送達日(昭和四五年八月六日)から悪意となつたものというべきである。

よつて、反訴請求中、返還の日以降反訴状送達の日の前日に至るまでの利息請求は失当である。

八以上の次第で、本訴請求はこれを棄却することとし、反訴請求は七に判示の失当の部分を棄却し、その余の部分はこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用し、なお、反訴認容部分につき仮執行の宣言はこれを付せないことを相当と認め、主文のとおり判決する。

(立岡安正)

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